2020年3月、新型コロナウイルスによる肺炎で急逝した志村けんさん(享年70)。彼の突然の死から5年が経とうとする中、東京都三鷹市にあった自宅の解体工事が始まりました。
生前、「日本の喜劇王」として長年活躍し、国民的スターだった志村さん。彼の自宅には多くの遺品が残されていましたが、最終的にすべて処分されることになりました。長兄・知之さんは「できることなら残しておきたかったが、現実的に無理だった」と語り、苦渋の決断を下したことを明かしました。
🏠 志村けんさんの自宅、5年間空き家のまま解体へ
📍 解体された自宅の概要
- 所在地:東京都三鷹市
- 建築年:1987年
- 特徴:7つの部屋を持つ2階建てのモダンな邸宅
- 購入価格:当時約3億円
志村けんさんが亡くなってから空き家状態が続いていたこの家。しかし、近隣住民からは「放置されている」「廃墟のようになった」といった声が上がっていました。
長兄・知之さん(80代)と次兄の妻が相続し、月に2回は自宅の管理を行っていましたが、高齢のため維持が困難に。そして、2024年1月に大手不動産会社に売却し、3月から解体が始まりました。
📦 遺品整理の苦渋の決断…志村けんさんの思い出はどこへ?
志村さんの自宅には、長年の芸能生活で集めた大量の遺品が残されていました。
📝 自宅に残されていた主な遺品
- 映画・コント研究のための大量のビデオテープやDVD
- 俳優業に挑戦した際の台本や資料
- 三味線のテキストとびっしり書き込まれたメモ
- 衣類や生活用品、トロフィー、レコード、書籍
知之さんは「とにかく物が多すぎて整理できなかった」と語り、結果的に業者に依頼してすべて処分することを決断しました。
「しっかりと、“外部に漏らさずに処分する”という契約を結び、すべてお任せしました」
🧢 たった一つの形見…兄が持ち帰った「Shimura」キャップ
多くの遺品を処分する中で、唯一持ち帰った形見がありました。それは、「Shimura」のロゴが入ったデニムキャップ。
「弟はこの帽子が気に入っていて、よく被っていた。だから、これだけは持って帰ろうと思った」
志村けんさんは誕生日を迎えるごとに、年齢と名前を入れたオリジナルキャップを作り、親しい人たちにプレゼントしていました。知之さんが受け取ったのは、志村さんが生前最後に作ったキャップ。
現在、知之さんは散歩の際にこのキャップを被り、亡き弟を偲んでいるとのこと。
🎭 志村けんさんの功績|日本の喜劇王としての軌跡
志村けんさんは、1974年に「ザ・ドリフターズ」に加入し、その後『8時だョ!全員集合』で大ブレイク。その後も、数々のバラエティ番組で日本中を笑わせ続けました。
📺 代表番組一覧
- 『8時だョ!全員集合』
- 『ドリフ大爆笑』
- 『志村けんのだいじょうぶだぁ』
- 『志村けんのバカ殿様』
- 『志村どうぶつ園』
また、晩年は俳優業にも挑戦し、2020年のNHK連続テレビ小説『エール』で好演。遺作となった映画『キネマの神様』では主演予定でした。
📌 もし映画が完成していたら、日本アカデミー賞で主演男優賞を受賞する可能性もあったと関係者は語ります。
📌 まとめ|志村けんさんの自宅は解体、遺品は処分…家族の苦渋の決断
🔹 東京都三鷹市の自宅が2024年3月に解体開始
🔹 長兄・知之さんは「管理が限界」として2024年1月に売却
🔹 大量の遺品は業者に依頼し、すべて処分
🔹 唯一の形見「Shimura」キャップを持ち帰る
🔹 志村けんさんの功績は日本のお笑い界に永遠に刻まれる
志村けんさんの突然の死から5年。彼の自宅はなくなりましたが、彼の笑いと功績は今も多くの人々の心に生き続けています。
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